★パステル画は、色々な技法で描いており、パステルに限らず、他の画材を使用した、絵も掲載しています。

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2019年10月18日から21日の沖縄旅行・一人旅。

「普天間基地問題と沖縄戦、東村の標的の村・高江を訪ねる旅編」


今回の旅も、沖縄平和ネットワーク(詳細は、@okinawaheiwa.netで検索。)のガイドでもあり、沖縄のフリースクールや大学の講師でもある、Kさんの案内で、下記を訪問しました。

10月19日(土)

那覇市→①宜野湾市の普天間バプテスト教会付属緑ヶ丘保育園→②市立普天間第二小学校 →③佐喜真美術館→④名護市で昼食→⑤東村高江の順です。

*但し、学校や保育園等の施設の中には、入っていません。

ガイドさんから聞いたお話しと私が調べた事も交えながら、各訪問場所ごとにまとめたいと思います。

①沖縄県宜野湾市野嵩の普天間バプテスト教会付属緑ヶ丘保育園で起きたこと。

園舎の屋根に米軍機のものとみられる部品が落下した。落下当時、園児と職員がいたが、幸いにも、園児らにけがはなかったという。部品には、英語表記の赤色のラベルが張られており、県警は米軍ヘリの計器のカバーと判断し、米軍に機体の特定を求めたという。

沖縄防衛局は、同日に訪れ、保育園側から事故の状況を聞き、普天間飛行場の運用停止を

求められるも、明確な返答はせずに、終わった。防衛大臣は、「米軍機から落下した可能性については、詳しい報告が無い為、断定は出来ず、米軍機の部品の様にも、見える。」と話したという。在沖米海兵隊も、この事件を深刻に受け止めつつも、米軍機の部品かは言及せずに終わり、結果、真実を認め様としない政府と米軍の姿勢により、「緑ヶ丘保育園側のデマではないか」とも言われ、緑ヶ丘保育園は、恐い思いをさせられた上に、酷いバッシングを受ける事となりました。

②沖縄県宜野湾市の市立普天間第二小学校 で起きたこと。

米軍普天間飛行場所属の大型ヘリの窓(重量8キロ)が運動場に落下し、普天間第二小学校は、運動場を使用禁止にしていたが、使用再開後、小学校の屋上に居た沖縄防衛局の監視員の「避難してください」という指示の下、運動場にいる児童は屋根がある規定の場所に避難していました。

その後は、各児童は米軍機の飛行音を確認して目視し、米軍機が迫る逆方向に移動し、避難が必要な場合は、運動場に配置する教諭が判断して指示する方法へ変更されました。

有る規定の場所とは、同小PTAが、要望して建設されたピンク色の避難施設です。この建物は、軍機から避難する為に作られた為、言い方を変えて言うと、「防空壕」といえます。

つまり、誰でも通学する市立の小学校に、綺麗な防空壕が設置されているという事になります。戦時中の様な危険な状況の中、子供達も先生も生活をしています。

この事件に対するデモ活動や、基地への反対運動は、市の教育委員会から、親御さん達も

含めて、止められている為、親御さん達の中でも意見が分裂し、衝突が起きています。

お子さんたちの命を守りたい気持ちは、皆同じなのに、悲しい現状です。

 ③沖縄県宜野湾市上原の佐喜真美術館のこと。

佐喜真美術館は、埼玉県東松山市の丸木美術館の丸木夫妻より、「沖縄戦の図」を託され、

一部返還された普天間飛行場の用地(1801㎡)を利用し、1994年に開館されました。

佐喜真美術館に展示されている写真で、丸木夫妻と共に写っている、埼玉県の都幾川は、

私(二口)が、10代の頃に通学していた、フリースクール「夢の実学園・ゆめのみがくえん・埼玉県東松山市上唐子」のプール代わりでした。

勿論、都幾川で泳いだあとは、丸木美術館の前の木の舞台で、体育の時間と称して、

太鼓を練習します。私は子供だったので、丸木夫妻の事については「美術館の絵を描いている優しそうなおばあちゃんとおじいちゃん」とただ、思っていました。

時々、夫妻が飼っている猫や犬、鶏とも遊んだり、丸木美術館は、「夢の実学園」の校庭

の様な場所でもありました。夢の実は、子供の親が集まって作っていた手作りの学校で、資金作りの為、「フリースクールのフリーマーケットで、絵を売りなさい」と、生前、丸木さんが、学校の為に絵を寄付してくれたことも有りました。丸木さんの絵は勿論、販売せず、大切に皆で保管していました。

今は、夢の実学園は有りませんが、丸木夫妻と共に写る、夢の実の元同級生だった皆の、

幼い頃の可愛らしい顔を、沖縄の佐喜真美術館に有った、写真集で見る事になるとは、

思いませんでした。夢の実学園と丸木美術館は、とても懐かしく、心温まる私の大切な

10代の思い出なのです。

最後に、佐喜真美術館のパンフレットに記載されている、館長の言葉と、丸木夫妻の

沖縄戦の図の言葉を明記します。

「沖縄の植物たちは暴風の中で枝葉をひきちぎられながらも豊かな自然の中で、たくましく

根太く成長していきます。私は激しい地上戦で傷ついた後も、巨大な米軍基地が居すわった

この地に人々が静かに「もの想う場」をつくりたいと考えました。「芸術の力」をかりるならばそうした場ができるのではないだろうかと想ったのです。私はこの美術館が皆様の「心の

緑陰」となることを願っています。」

 「沖縄戦の図 丸木 位里 俊」

辱めを受ける前に死ね 手りゅう弾をください 鎌や鍬でカミソリでやれ 親は子を夫は妻を

若者は年寄りを エメラルドの海は紅に 集団自決とは、手を下さない虐殺である。

佐喜真美術館 (詳しくは、http://sakima.jp/で検索)。

④名護市で昼食タイム。

ガイドのKさんに連れられ、地元の人向けの沖縄そばの店に連れて行って頂きました。

豚肉ソーキが入った、小麦粉の平らな麺のお蕎麦でした。沢山の野菜と紅ショウガも

山盛りで、お汁も麺もお肉も美味しく頂く事が出来ました。

観光客が余り来ない店だからなのか?奥に居た地元の人達がが珍しそうに、私とKさんを

見ていました。

⑤沖縄県国頭群東村字高江へ。

那覇市から、東村高江までは、引き続き、ガイドのKさんの車で約3時間前後ぐらいで到着。

高江の地域をユネスコの世界自然遺産に登録する動きも有り、東村は、観光地化されておらず、ありのままの自然が広がる美しい浜辺と海には、感動しました。高江は、 ウチナーグチ(沖縄の方言)で「山原」と書いて「やんばる」という、豊かな山々と深い森に囲まれた場所で、隣接の米軍北部訓練場(ジャングル戦闘訓練センター)が無ければ、人が安心して心も体も自然に任せながら生きていける場所だなと感じ、自分も住んでみたいと思いました。

しかし、実情は、電線ギリギリをオスプレイが飛び、ゲリラ戦の訓練をする兵士が、一般住宅の庭に突如、現れたり、小学校の地域を歩いていたりと、地元住民の命がいつも危険に晒されている場所なのです。

北部訓練場のある高江に住む人たちは、オスプレイの騒音で眠れず、低周波音の影響で体調を崩し、子供たちを守る為に、何も補償がされぬまま、転居せざるを得ない状況になった家族もいます。いつオスプレイが落ちてくるかわからないという危険な状況です。

オスプレイのヘリパッドは、北部訓練場内の東村高江の集落を囲むかのように、つくられおり、北部訓練場には、5つのダムがあり、沖縄本島の60%の生活用水を担う貴重な水源地ですが、水源地のすぐそばに、ヘリが墜落し、危うく、取水停止になるところでした。このヘリの機体の一部には、放射性物質や科学物質も使われていました。

沖縄県民の「命の水がめ」で軍事訓練が行われるという異常な状態なのです。

「ヘリパッドはいらない」住民の会のテントは抗議活動の拠点で2016年に設置され、そばに仮設トイレもありましたが、米海兵隊に撤去されました。

その後、何度もテントを立てる度に、夜中等に撤去され、今も撤去の通告を受けながら、命を

守る為の活動と抗議を続けています。

高江の「ヘリパッドはいらない」住民の会のテントで、テントの当番だったIさんとお話した中で、私が最も心に響いた内容を、記載したいと思います。

「多数の人間に良い事があれば、私達の様なマイノリティ(少数派)の命がどうなろうとも、

構わないというのが、今の政府だと思います。少数の困窮者の事なんて、構わないということです。

結局、私達の政府は、私達の税金(94億4千万円のうち、警備費は、63億円だった。)を使い、ヘリパッド建設を遂行する工事会社を守る為に沢山の警備員を雇いました。動物や人の命を大切にし、安心して生きていきたいと願い、座り込みを続けた住民を力づくで、排除したのです。

憲法で人々は守られていないのです。常に、オスプレイや軍事訓練による、命の危険に晒されている状況というのは、全く人権は、守られていません。

人の命というのは、だれかが、比較したり、差別をしてもいいものなのでしょうか?

沖縄から米海兵隊がグアムへ私たちの税金を使って、グアムの先住民「チャモロ」の定住地であり、絶滅危惧種の動植物が多く住む地域に、実弾射撃訓練場を作り、移転する計画が有ります。

私達、沖縄人は、植民地だった国の台湾人や朝鮮人と同様に、同じ人間として見られてこなかった。おとうさんは、「日本人になりたい、日本人になりたい」としきりに言っていました。

今度のグアムへの移転計画には、私達の沖縄とグアム等を米国が戦争をする為の地として、

考えていると思います。米国は、自分の国では、戦争をしたがりませんからね。

日本は、沖縄戦で沖縄を戦地にして、今度は、米国と共に、米国の戦地にしたいという事

でしょうか?私の友人が「なんで、沖縄戦で、全員の沖縄人を殺さなかった?なんで、殺しのこした?殺しのこしたから、私達がその子孫として、生き残ったんだ。

生き残って良かったなんて思えないよ。又、戦地として、利用されるならね。」と言っていました。」

以上になりますが、沖縄の人達に、「沖縄戦で生き残りたくなかった。」と言わせては、絶対にいけない。誰も、人の命を比較することは出来ない。

私にとって、命を大切に出来る活動とは何だろうか?考えさせられるとともに、高江で、自分達だけではなく、米兵の命を含め、命を守る活動と抗議運動を続けている方達の事を深く尊敬

するとともに、私の出来る方法で、応援していきたいと思います。

ぬちどう宝 命こそ宝。

私は、これからも3色パステルアートを描き、行動を伴った活動もしていきます。


下記は、VOICE OF TAKAE(https://takae.ti-da.net/c92253.html)より、抜粋。

ヘリパッド建設と高江住民の年表:

1957年 北部訓練場の使用開始

1996年 12月 2日 日米特別行動委員会(SACO)最終報告

1999年 10月26日 高江区区民総会「ヘリパッド移設受け入れ反対」決議

2006年 2月23日 高江区区民総会で2度目の「ヘリパッド建設反対」決議

2007年 5月17日 東村村長ヘリパッド建設反対の公約を撤回

7月 2日 ヘリパッド建設着工 住民の座り込みが始まる

2008年 11月25日 沖縄防衛局が住民15名(7歳の子供も含んでいたが取り下げ)を 「通行妨害仮処分」で那覇地方裁判所名護支部に申し立る

2009年 12月 通行妨害仮処分で2名の通行妨害禁止の決定国は2名を提訴

2012年 3月 本訴訟で1名を「通行妨害」と認定

2013年 2月 N4地区のヘリパッド2カ所の内1ヶ所が完成

     6月 通行妨害禁止 高裁判決1名の「妨害」の判断維持

2014年 6月1 3日 通行妨害禁止の訴訟で最高裁は上告不受理決定

7月 N4地区の残るヘリパッド1ヶ所が完成

2015年 2月17日 N4地区の2ヶ所のヘリパッドを先行提供

2016年 7月11日 N1、H,G,の4ヶ所の工事再開に向け

メインゲート資材搬入

22日 N1ゲート入り口、抗議の座り込みを排除しテント、車両撤去、工事着工

9月21日 高江住民が米軍ヘリパッド建設工事差し止めで国を提訴

12月13日 オスプレイ名護市安部の海岸に墜落

 15日 米軍ヘリパッド建設工事差し止め仮処分命令の申し立て却下

22日 日米両政府はヘリパッドがすべて完成したとして約4000ヘクタールの 返還を祝う式典を名護で開催。

4000ヘクタールの返還を祝う式典を名護で開催。

2017年 7月 ヘリパッド建設補修工事が再開

10月11日 高江民間地(牧草地)に米軍ヘリCH53E墜落炎上

12日 高江区が「北部訓練場の新しい6カ所のヘリパッド使用禁止」決議

2018年 1月26日 沖縄とグアムでの米軍基地拡大に反対する共同声明と

質問書をグアム住民と 住人の会で外務、防衛省に提出。

2枚目の画像をクリックすると、沢山の写真がご覧頂けます。



Atelier ゆるりと色の粉(こな)

・自由画を描く、大人と子供の居場所作りをしています。 ●姉妹ホームページ/お絵描き工房 ゆるりと色のこな(名前で検索可)もご覧ください。